大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成4年(特わ)2557号 判決

主文

被告人野上公子を懲役八か月に、被告人山中宏を懲役五か月にそれぞれ処する。

被告人らに対し、この裁判の確定した日から二年間、それぞれ刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

【犯罪事実】

被告人野上公子は、コンタクトレンズの販売等を目的とする株式会社さくらコンタクトレンズクリニックの取締役としてこれを実質的に経営するとともに蒲田眼科医院を管理する医師であり、被告人山中宏は、同会社の従業員であるが、被告人両名は、共謀の上、業として、医師の資格を持たない被告人山中が、別表記載のとおり、平成三年七月一五日から平成四年四月二五日までの間、前後一〇回にわたり、東京都大田区西蒲田八丁目一番六号エノモトビル六階の同会社兼蒲田眼科医院において、吉田絵里香ほか八名に対し、検眼、コンタクトレンズ着脱、コンタクトレンズ処方等の診療行為をし、もって、医師でないのに、医業を行った。

【証拠】(省略)

【争点についての判断】

一  医行為性について

別表記載の各行為を被告人山中が行ったことは、証拠上明らかであり、被告人らもこれを認めているが、弁護人らは、これらの行為がいずれも医行為に当たらないとして医師法違反の罪の成立を争う。

そこで検討すると、医師法で、医師の資格のない者が業として行うことを禁じられている「医行為」とは、医師が行うのでなければ保健衛生上危害を生ずるおそれのある行為であると解されるところ、関係証拠によれば以下の事実が認められる。

コンタクトレンズは、眼球の表面の角膜に矯正レンズを密着させて近視や乱視などの眼の屈折異常を矯正するものである。したがって、角膜や瞼の裏側の結膜などに疾患がある患者や涙の分泌量が少ない患者などには、コンタクトレンズを装着すべきでないとされており、このような場合は、コンタクトレンズを装着すること自体が、保健衛生上危害を生ずるおそれがある行為に当たると認められる。また、患者の眼に適合しないコンタクトレンズを装着すると、頭痛、吐き気、充血、眼痛、視力の低下などをもたらしたり、角膜を傷つけることになったりする危険があるといわれている。このような危険は、浸水性や酸素透過性に富んだコンタクトレンズが開発されるようになった今日でも、基本的には異なるところはない。結局、コンタクトレンズは、それ自体が、眼に適合しなければ保健衛生上危害を生ずるおそれのある物であるといわざるをえない。そうすると、患者の眼にコンタクトレンズが適応するかどうかの判断とどのようなコンタクトレンズが適合するかという判断、すなわちコンタクトレンズの処方は、これを誤れば保健衛生上危害を生ずるおそれがある行為に当たるというべきであり、これが「医行為」に当たることは明らかである。

被告人野上は、法廷で、コンタクトレンズの処方を誤ることはほとんどなく実質的な危険はないという趣旨の弁解をするが、被告人野上自身が、被告人山中を雇い入れた際、その危険性について説明していることが認められ、被告人の弁解は、右認定に何ら影響を及ぼすものではない。

これに対して、別表記載の検眼、コンタクトレンズの着脱は、それ自体が保健衛生上危害を生ずるおそれがある行為に当たるとは直ちには言いがたい面があることは否定できない。すなわち、検眼について見れば、視力表を利用したいわゆる自覚的検査はもちろんのこと、オートレフケラートメーター等の機械を利用した他覚的検査であっても、それを実施すること自体によって患者の身体に何らかの危害が及ぶということは、ほとんど考えられない。また、コンタクトレンズの着脱も、コンタクトレンズを利用している一般の人々が日常的に行っていることであり、細菌感染のおそれがあることを考慮しても、それ自体が身体に危険な行為ということはできない。しかし、関係証拠によれば、各患者は、それぞれの理由で、コンタクトレンズを購入するために、蒲田眼科を訪れており、本件で起訴されているこれらの行為は、いずれも、患者の求めに応じてコンタクトレンズを処方するために行われたもので、コンタクトレンズの処方には必要な行為であることが認められる。そうすると、コンタクトレンズの処方のために行われる検眼、コンタクトレンズの着脱は、コンタクトレンズの処方の一部をなす行為というべきであり、別表番号7の森、番号10の反町の場合のように、引き続いてコンタクトレンズを処方するに至らなかった場合も含めて、それがコンタクトレンズの処方のために行われたものである以上、「医行為」に当たることは明らかである。

二  医師の監督等について

次に、弁護人らは、別表記載の各行為は、いずれも医師である被告人野上の監督、指導の下で被告人山中が行ったものであるから、医師法に違反しないとするが、関係証拠によれば、被告人野上が、被告人山中を雇い入れた際、コンタクトレンズの処方の方法について指導したこと、当初は、被告人野上自身も蒲田眼科を訪れて被告人山中の指導をしたり、自ら診療に当たったりしたこともあることは認められるが、その後、次第に訪れることが少なくなり、平成二年ころ以降は、被告人野上は、週一回位蒲田眼科に顔を出すことはあっても、カルテのチェックをしたり、整理整頓を行う程度で、具体的な診療には関与していないことが認められる。したがって、被告人山中が、別表記載の各行為を、被告人野上の具体的な指示、監督を受けずに、自らの判断で行ったことは明らかである。

被告人山中は、日本眼科医会の実施したOMA(オフサルミック・メディカル・アシスタント、眼科医療補助者)の講習を受けてこれを終了していることが認められるが、だからといって、同被告人が医師の監督なしに単独で医行為を行うことができないのは明らかである。

なお、蒲田診療所での一連の行為が、経営者である被告人野上のために行われたことは、関係証拠により明らかであり、本件の各行為は、被告人両名の共謀に基づいて行われたものと認められる。

三  憲法違反の主張について

弁護人は、検眼やコンタクトレンズの着脱が医行為に当たるとすると憲法二二条一項に違反することになると主張し、罪刑法定主義との関係も問題にするが、医師法一七条、三一条一項の規定が医師でない者による「医業」を禁止し、これに違反した者に対して罰則をもって臨んでいるのは、国民の生命及び健康に対する危険を防止することを目的とするものであり、このような規制は、目的を達成するために必要かつ合理的な措置であって、憲法二二条一項に違反しない。また、医師法は、規制の対象となる「医業」の具体的内容を明らかにする規定を置いていないが、その規制の目的と文理から合理的に解釈すれば、その内容は、前記のとおり、「医行為」すなわち「医師が行うのでなければ保健衛生上危害を生ずるおそれのある行為」を業として行うことであると解されるのであって、同条による処罰の範囲が不当に広過ぎたり、不明確になるとはいえない。そして、本件のようにコンタクトレンズの処方のために行われる検眼やコンタクトレンズの着脱が右の「医行為」にあたることは前に説明したとおりであって、そのように解しても罪刑法定主義の根拠となる憲法三一条に違反することにならない。

【適用した法令】

被告人両名についてそれぞれ

罰条      別表番号1ないし10の各行為を包括して、刑法六〇条、医師法三一条一項一号、一七条

刑種の選択   懲役刑選択

刑の執行猶予  刑法二五条一項

訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条

【量刑の理由】

本件は、約九か月の間にわたり、コンタクトレンズの処方及びこれに必要な検眼等の行為を行ったというものである。起訴された事実は、長期間に多数回にわたって行われた一連の犯行の一環であり、その規模は軽視できない。すなわち、被告人野上は、昭和四五年ころ、独立して野上眼科医院を開設するとともに、コンタクトレンズの販売によって利益を上げることを目的として、さくらコンタクトレンズクリニックを併設したが、コンタクトレンズの購入を希望する患者だけを相手にするため、さくらコンタクトレンズクリニックを別の場所に移し、昭和五九年ころから同所で蒲田眼科医院を開設する旨の届も出し、以後、医師の資格のない者に、本件と同様の行為を行わせていた。被告人山中は、昭和六三年ころから同所で働くようになり、平成二年ころからは、被告人山中が、ほとんど一人で、同所での業務を行い、一連の医師法違反の行為を続けていた。

被告人野上は、医師であるにもかかわらず、コンタクトレンズの販売による利益を上げることに目を奪われ、医師としての責任を忘れ、無資格診療を行わせたもので、その責任は重い。また、被告人山中は、個々の行為を実行したもので、実行者としての責任を免れない。

他方、コンタクトレンズの処方による身体に対する実質的危険性は、手術などの典型的な医療行為と比較すれば、さほど大きくないことは、弁護人の指摘するとおりであり、実際にも、被告人らの行為によって大きな被害が出たとまでは認められない。

なお、弁護人らは、医師の資格を持たない者によるコンタクトレンズの処方、販売が世間で広く行われているので、その点を量刑上評価すべきであると指摘するが、そのような事情が仮りに認められるとしても、それは、違法な行為が横行していることを示すだけであって、被告人らにとって特に有利な事情とはいえない。また、本件の特色は、医師が無資格者を使ってコンタクトレンズを販売したという点にあり、一般のコンタクトレンズ販売店が医師の関与なしにコンタクトレンズを販売しているのと同列に論じることはできない。弁護人らの指摘する事情は、前記のとおり、実質的危険性が小さいという面で評価できるにとどまる。

被告人は両名とも、コンタクトレンズの処方などの行為が医行為に当たらないなどと弁解し、犯罪の成立を争ってはいるが、各行為を行ったことについては反省し、事件後、蒲田眼科を閉鎖している。

また、被告人両名には、前科はなく、被告人野上については、蒲田で本件無資格診療を続ける一方で、本来の野上眼科では、長年にわたって正規の眼科医師として、地域医療に尽くしてきたとも認められる。

このような事情を考慮した上で、被告人両名をそれぞれ主文の刑に処した上、刑の執行を猶予することとした。

(検察官大森淳、被告人野上の主任弁護人山口紀洋、被告人山中の弁護人渡辺邦守 各公判出席)

別表

〈省略〉

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例